神社のご案内

春日神社御由緒

 当社の御祭神、天児屋根命・武甕槌命・斎主命(経津主命)・姫大神は、日本国の成り立ちに深く関わられ、邇邇芸命が日向の国高千穂久志布流峰に天下り給いし時の随神英傑の神々であり、上古よりこの地に斎い奉り来て、荒瀬宮と申し上げていました。
 今から1300年程前、大納言惟資(これすけ)が、神殿を建立し、春日大明神と尊び敬って名付け、この後の領主、土持・高橋・有馬・三浦・牧野・内藤の歴代各藩主は、篤い尊崇の念を持って多くの寄進を惜しまず、領民達もこぞって参詣しました。
 廃藩後の明治4年7月、社号が「恒富神社」と改称されましたが、氏子の熱望により、昭和43年、古来の社名「春日神社」に復元し、春日さんと親しまれながら現在に至って おります。
 社殿の両側に天高くそびえる楠の御神木は、向かって右側のものが、幹回り10メートルを超え宮崎県下7番目、左側のものが8.5メートルで18番目の巨樹です。いずれも樹齢900年にも及ばんとし、60余種の樹木と共に、みごとな神奈備の杜を形成しています。
 なお、大己貴命・事代主命・保食命・武南方命・土持兼重霊神が合祀されています。

祭日

夏祭 7月20日
例祭 12月5日

御利益

・事業発展
・身体健康
・交通安全
・厄除け
・学問成就等

御祭神

天児屋根命
アメノコヤネノミコト

古事記上巻の天岩屋戸に「天児屋命、布刀詔刀言禱(フトノリトゴトネ) ぎ白して」とあるように、祭祀を執り行い、みごとな祝詞を奏上する神です。 中臣氏(藤原氏)の氏祖、日本の国の建設に力を尽くされた神でもあります。

武甕槌神
タケミカヅチノミコト

古事記上巻に、 国譲りを実現するために「ここに天鳥船神を建御雷神 (武甕槌命)に副へて遣はしたまいき」 とあります。 名前からも分かりますように、勇猛な雷神であり、国家を治め、天下に平和をもたらす神です。

斎主命
イワイヌシノミコト

経津主命(フツヌシノミコト)ともいいます。 武甕槌命と共に出雲の国にお下りになり、葦原中国を平定する武芸の神、国家鎮護の神です。男神に対しての配祀神を言い、当社に祀られているのは御祭神の天児屋根命の妃神で、女性・婦人として守るべき行いの規範「婦徳」を尊ぶ神です。

姫大神
ヒメオオカミ

男神に対しての配祀神を言い、当社に祀られているのは御祭神の天児屋根命の妃神で、女性・婦人として守るべき行いの規範 「婦徳」を尊ぶ神です。

武甕槌神と斎主神(経津主命)は、天照大神の命を受けて高天原から、出雲の国へ降臨され、大国主神との交渉の結果、この国を譲っていただくことに成功し、 荒ぶる神々を鎮め、日本の国を平定した神です。

春日神社の神使(眷属)の鹿について

春日神社の神使(眷属)の鹿について

春日大社に武甕槌命をお迎えした時、命は、 白い鹿に乗って、柿木を鞭にして、遠路、鹿島からやって来られしたという説話により、“鹿”が神使になったと考えられます。

春日神社の紹介フォト

春の神門

春の神門

春の愛宕通線

春の愛宕通線

七夕のころ

七夕のころ

まつりのべおかご発幸祭

まつりのべおかご発幸祭

まつりのべおか出会い神輿

まつりのべおか出会い神輿

まつりのべおか出会い神輿

まつりのべおか出会い神輿

手水舎の花

手水舎の花

紅葉の春日神社

紅葉の春日神社

傘みくじ

傘みくじ

常若祭宮入

常若祭宮入

常若祭宮入

常若祭宮入

常若祭神楽

常若祭神楽

例祭(本宮祭)

例祭(本宮祭)

例祭(本宮祭)

例祭(本宮祭)

例祭神楽奉納

例祭神楽奉納

大晦日のご神門

大晦日のご神門

元旦祭

元旦祭

延岡神楽舞い初め

延岡神楽舞い初め

どんど焼き火きり

どんど焼き火きり

どんど焼き

どんど焼き

どんど焼き

どんど焼き

春の神門 春の愛宕通線 七夕のころ まつりのべおかご発幸祭 まつりのべおか出会い神輿 まつりのべおか出会い神輿 手水舎の花 紅葉の春日神社 傘みくじ 常若祭宮入 常若祭宮入 常若祭神楽 例祭(本宮祭) 例祭(本宮祭) 例祭神楽奉納 大晦日のご神門 元旦祭 延岡神楽舞い初め どんど焼き火きり どんど焼き どんど焼き

愛宕神社

往古より、 延岡城 (城山) の内にまつられていましたが、 城砦建築のため、領主高橋右近将監が頂上付近に遷され、 旧称の笠沙山を愛宕山と改めました。
一時期、 恒富神社 (春日神社) に合祀されましたが、崇敬者のたっての願いで現在地に復社しました。
頂上の社も奥宮として現在も参拝者が多く、 例祭日には神事も斎行されます。
なお、奥宮の鳥居の笠木は、日向御前が奉納されたものといわれています。

◇ 祭日
旧暦一月二十四日

◇ 御祭神
(火の神、 火防の神) 伊邪那美命、軻遇突知命

愛宕神社 愛宕神社

愛宕神社奥宮(極天様)。 延岡藩主の有馬直純公の妃 日向御前が寄贈した鳥居の笠木が残っています。

御手洗水神社

愛宕神社が頂上にあった頃、 手水舎の役割をはたしたものと思われますが、 現在は「水神さん」 と親しまれ多くの市民が参拝し、 奉納された多くの鳥居が参道に建ち並んでいます。

◇ 祭日
春祭 旧暦三月十日
秋祭 旧曆八月十日

御手洗水神社

愛宕山の旧称、笠沙山(笠沙御前)

記紀 (古事記上巻神代)に、「邇邇芸命、笠沙の御前に麗し美人(おとめ=木花佐久夜賣) に遇ひたまひき」とあり、これを機に二柱の大神は恋におち、めでたく結婚され、 海佐知毘古、 山佐知毘古お生みになり、 神武天皇へと続いていきます。

愛宕山の旧称、笠沙山(笠沙御前)